4500年前の建造物は東京ドームの2倍!?「ギザの大ピラミッド」とはなにか

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サラッと出身地の話からスタートですが、摩訶不思議で世界中から観光客が訪れるくらいにファンタジーが詰まっているものの代表格として、京都には伏見稲荷大社というのがあります。山に向かって鳥居がいくつも連なり、その光景はゲームに負けず劣らず、というよりゲームの世界に入ったような夢見心地にすらなるほどです。

あまりに非現実的な空間が広がってるので実際にゲームやアニメ、映画の題材として使われ倒すような場所なので、ぜひ行ってみて欲しいです。ちなみに僕はファンタジーを味わいたくて真夜中の3時に登頂するというのが好きです。
(京都タクシー運転手の方曰く、千本鳥居と言われていること光景は、実際は鳥居の数が年々増え続けた結果、万本鳥居となっているのだとか)

このようにファンタジックな世界とは魅了されるものがあります。京都が世界中の人々の観光名所になってるのは、異質や異国を堪能できるからでしょう。もちろん僕たち日本人にとってもそれは同じことで、海外の異文化や異質さに触れることができるのは刺激の塊。
世界に誇る不思議さは世界中の人を魅了する。その意味では外せないのがエジプトのピラミッドも当然名を連ねます。ファンタジーの代表格!

(にもかかわらずピラミッドの横にはケンタッキーがあると知った時は、雰囲気ぶち壊して悪い意味で衝撃的でしたが。観光化の悪い側面ですね)
数あるピラミッドのなかに、ギザのピラミッドというものがあります。世界の七不思議に数えらえれ、唯一現存しているというオーパーツ。今日の話題は、衛星からも捉えることができるという超建築物のお話です。

世界の七不思議とは

以前七不思議の一つであるアレクサンドリアの大灯台についてコラムを書いたときも説明しましたが、古代世界の七不思議、あるいは世界の七不思議と呼称される世界の驚異的な建築物のことです。古典古代において人々を驚嘆させた建築物のリストであり、古代ギリシアの旅行者たちが案内書や詩文の中で数多く言及している代物。そのすべてが紀元前に建てられたとうのだからその事実に驚きます。
しかし、七不思議であるロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台、マウソロス霊廟、アルテミス神殿、オリンピアのゼウス像は、いずれも現存しておらず、天災などなんらかの理由で崩落しています。バビロンの空中庭園にいたっては、存在していたとされる正確な場所はおろか、存在していたことすら疑われているのだとか。
とかく七不思議はこの世にもうないのかといえば、唯一存在しているのが今回ご紹介するギザの大ピラミッド。数々の大建築物が崩落したというのに、驚くことなかれ。
このギザのピラミッドは、最も古い時代のものでもあるのに、ただ一つ存在しているのです。最も古いのに現存している、ここにもピラミッドの不思議と魅力と魔力が備わっていると思いますね。

ギザのピラミッドってなに?

ギザの大ピラミッドとは、その名の通りエジプトのギザという地に建設されたピラミッド。(ギザってなんだと思われたかもしれませんが地名のことですね。)

古代エジプトの第4王朝の王であるクフの墓とされており、クフ王のピラミッドという呼称でも親しまれています、ちなみにクフさんは紀元前2500年頃の王です。想像できないレベルで過去です。

ピラミッドってそもそもなに?

諸説ありますが、現在ではだれかしらのお墓であるという説が有力です。そのため、ギザのピラミッドもクフ王さんのお墓といわれています。

ちなみに「ピラミッド」という言葉の由来は、ギリシャ語で「三角形のパン」という意味をもつ「ピューラミス」。日本語では「金字塔」と訳されることもあります。金字塔ってピラミッドのことだったんですね!というか三角形のパンが語源というのにも驚きですが。

あと意外なのが、エジプトだけで発見されていません。中東や中南米などでも発見されています。日本でも人によって加工された形跡がある山がピラミッドなのではないかという説があるほどです。

本当に王の墓なの?

先ほど諸説あるなかで王の墓とされていると言ったのには、理由があります。
ピラミッドはファラオの墓であったかどうかという謎。たしかにピラミッドが作られた目的としてもっとも有名なのが王の墓という説ですが、疑問視する声も多いのです。
というのも、肝心のミイラがほとんど見つかっていないことや、別の場所で王の墓が見つかっていることなどから「じゃあなんで王さまはピラミッドで寝てなかったんですかあ!?」という声が上がるのも無理はないといった現状。
さらには築造されてから発見されるまでの間に盗掘されているケースも多いので、正確な判断が難しいというヤな実情もあります。

別の説はいろいろある

王の墓でなかればじゃあ一体なんなんだということで、説は様々に考えられています。ナイル川の氾濫によって農作業ができなくなったため、農民を労働力として用い給料を支払うことで救済した「救済土木事業説」という説。
そのそのほかには、「日時計説」「穀物倉庫説」「天体観測施設説」なども。というのがピラミッドにはさまざまな機能があるとされているからです。しかし、どれも詳しいことは明らかになっていません。


ピラミッドの立地は特殊な場所であるため、それも関係しているとは推測され知恵ます。ピラミッドの建っているナイル川の西岸は死者の領域だと考えられているため、また周辺に葬祭殿や墓地群などが発見されていることなどから、葬礼と何らかの関係があるというのはほぼ確定しているそうです。

ギザのピラミッドってなに?

では今回ご紹介するギザのピラミッドの詳細について。
1800年代に、王の間と呼ばれる空間がピラミッド上部にあることがわかりました。そしてその最上部には当時建築に携わった人々が残したと思われるいたずら書きが発見されています。(いたずら書きって。)
そのなかに「クフ王」の名があったことことから、クフのピラミッドであると考えられているのです。らくがきからだれの墓か考えられるってシュールですね。
(一応、紀元前400年代に古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが著した『歴史』にも、「クフ王のピラミッド」という記述はあるらしいです。)

紀元前2560年頃にクフ王が建造したギザの大ピラミッドは、元々の高さが146.59m。(元々といったのは現在と高さが異なり、現在は138.74mだからです)
底辺は230.37m。重さ2.5tの巨石を約280万個積み上げて築造されています。
数字だけではいまいちピンとこないと思いますが、このギザのピラミッドだけで東京ドームの2.5倍以上あることになります。
紀元前2500年前の建築物で、現在の技術がない状態でそんな巨大なものをつくったというのが驚きです。
ちなみに1311年にイギリスのリンカン大聖堂が建設されるまで、世界で最も高い建造物でした。3800年間も高さを更新されなかったんです!

しかも驚きなのが、約20年間で作られたことがわかっていてます。こんな巨大なものを短期間でどのようにして完成させることができたのか、その建設法を巡ってさまざまな説が議論されているのです。

建築技術自体も非常に高く、石積みの技術は非常に高度なもので、底辺の長さの誤差は20cm、東西南北に垂直に交わっている四辺の誤差は100分の5度しかありません。

ピラミッドの中ってどうなってんの?

「王の間」「女王の間」「大回廊」「控えの間」「未完の地下室」と呼ばれる様々な空間や、それらを繋ぐ通路があります。
空間自体は隠された空間が存在する可能性は高く、現在でも調査がおこなわれているのです。
たとえば1993年にはクフ王のピラミッドで、これまで通気口だと考えられていた「女王の間」から伸びる通路の先に、青銅製の取っ手が付いた扉を発見されています。そして、その奥にも空間が広がっていることが発見されたした。
(エジプト考古学庁長官のザヒ・ハワス博士は、この空間がクフ王の玄室に繋がっているのではないかと推測しています)

ピラミッドってどうやって作ったの?

人によっては神や宇宙人が建造を手伝ったのでは? と考える人がいるほど不思議な建造物です。なんせ期限前2500年前、つまりいまから4500年以上前に東京ドーム2個分の大きさで作られたのですから無理もありません。

ピラミッドを形成している石の素材は、石灰岩と花崗岩です。石灰岩は500mほど離れた場所にある石切り場で切り出されたものと考えられていますが、花崗岩はギザ周辺にはないのです。この時点で不思議ですが、ナイル川を約1000km遡った場所にあるものを、船などで運んでいたのではと考えられています。

具体的な作り方についてもわかっていないことが多く、いくつかの説が提唱されています。
たとえば代表的なのは、緩い傾斜をつけた直線通路を作り、ソリのようなもので石材を引きあげる「直線傾斜路説」です。クフ王が建設したとされるギザの大ピラミッドもこの方法だとされています。採石場の隣にピラミッドを造ることで、より効率よく石を運べるように工夫したとも考えられています。
ほかには、ピラミッドの外周に沿ってらせん状の傾斜通路を作った「らせん傾斜路説」などもあります。
太古にどうしてこんな巨大なものを正確に作れたかというのは、星の位置で方位を決めたり、基礎水準で建てることによってピラミッド造りを可能にしていったのだとか。

ある程度判明している作り方を考えると、ギザの大ピラミッドは23年間で建設されたとわかっています。そして1日に約322個の石材ブロックを切り出す必要があるなど、23年間で大ピラミッドを建設する方法はある程度推測済みなのだとか。

ピラミッド建設に関わった人々の生活

にしても、平均2.5トンの石をうず高く積み上げ、王の間や女王の間に使われたものにいたっては60tもの巨大な石が使われていたというのですから、ピラミッド作成には多くの労力が費やされたことはいうまでもありません。
これらの石を切り出し、運び出し、積み上げる作業員や、傾斜路を作る作業員、道具を作る職人、さらには彼らの身の回りの世話をする人も必要だったのですから、トータルで約2万人の労働者が必要だったといわれています。

すべてを考えるとクフ王の大ピラミッド建造に関わった人々は、約2万から2万5000人だと考えられているのです。

ちなみにピラミッドの近くからは、築造に携わった人々が生活していたとみられる街も発見されています。これはなかなか興味深いですね!
もともとはヘロドトスの『歴史』では、奴隷を酷使して無理やり作らされていたという記述もあったピラミッド建造。ところが、実際の作業員たちは家族で暮らし、報酬をもらい、パンやビールを口にしていたことが判明しています。けっこうちゃんと生活していたようですね。

また、勤怠管理はしっかりしていたのだとか。たとえば家族のミイラ作りを理由に休日を取得する、いわゆる慶弔休暇もあったみたいで、奴隷を酷使していたという話とは遠く離れますね。なかには二日酔いで休んだ人もいるみたいですし。ぜんぜん労働環境悪くなさそうですね。

解明されていくピラミッドの謎

謎多き古代の建築物とされてきたピラミッドですが、現代では作り方から1日の作業用、はては作成に携わっていた人々の生活まで明らかになってきてるので、嬉しいようなさみしいような風雑な気持ちになります。
世界の七不思議に数えられ、唯一現存する超常的な存在だったのに「解明されてきました」ってなると、なんだか呆気ない気持ちになるというのも事実。
(不思議生物のUMAの謎が解かれたり、自然現象の正体明かさられるような感覚と少し近いかもしれません)

とはいえ、まだまだピラミッドの謎が解明されきっていないのも現状。たとえば「ピラミッド内部の部屋である女王の間や王の間に装飾がないのはなにゆえなのか?」
もしも墓であれば、女王の間や王の間といわれる部屋は装飾をするはずという疑問など、まだまだ古代人のナゾナゾを現代人は解き明かすことができていません。
それこそギザの大ピラミッドは古代人の落書きで「ここはクフ王の墓っぽいよお!」となっているのが現状なようですし、クフ王の墓という説も変わるかもしれません。
謎が謎のままであればそれはそれで魅力的ですが、解明してほしいという気持ちも混ざっているのがワガママところです。

この記事を書いた人

MIYAMOTO

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