広大な宇宙の中心はなに?「天動説」と「地動説」について調べてみた!

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この宇宙の中心はなんなのか、みなさんは考えたことがありますか?
太古の昔から、人々は宇宙について思いを馳せてきました。そしてこの広大な宇宙の中心はなにかを真剣に論じられたのが、天動説と地動説です。
耳にしたことがある方も多いと思うこの天動説と地動説。それぞれがどういった違いがあるのか、またどういった経緯で生まれたのかを知らない方も意外といるのでは?
そこで今回は、これら2つの説について紹介しましょう。

天動説と地動説とは?

天動説と地動説は、どちらも天体の動きに関する説。天体は宇宙区間にある物体の総称で、地球などの星もそれに該当します。
天動説はその地球を中心に宇宙があると考える説です。それに対して地動説は太陽が宇宙の中心と考えられています。2つの説の大きな違いは、どちらの天体が宇宙の中心と捉えるかという点。

天動説の歴史

天動説は紀元前の古くから長い期間正しいと広く信じられてきました。そしてその提唱にはいくつかの段階があります。
まずはじめに提唱された説の内容では、水星や金星、月などの惑星や衛星が地球を中心に円を描くように回っていたと考えられていました。たしかに天体は円有働を行なっていますが、それだと星それぞれの不規則な動きの説明ができず、そのうち説はアップデートされることになります。

アポロニウスの天動説

アポロニウスという人物が次に提唱したのは、天体すべてが単純な円運動をしているのではなく、従円と周転円というもの。
従円とは大きな円のことで、周天円とは小さな円のことです。中心で回ってる天体の周りを大きな円で周ってる天体が、さらに小さな円の動きで周るというのが、アポロニウスの提唱した天動説でした。
噛み砕いて説明すれば。中心で周ってる星の周りを、さらに別の円の大きさで周っているということになります。
アポロニウスによって、全部の星が均一な円の大きさで周ってるのではなく、それぞれ異なる円の動きをしていると説明されたのです。

プトレマイオスの天動説

その後、プトレマイオスという人物が従円の中心が実は地球ではなく、エカントという点が地球の中間点が従円の中心であると考えられました。
プトレマイオスの説では地球が中心とはいえなくなったように思えますが、このアップデートされ続けた天動説はその後長きに渡って人々の常識となっていきます。

天動説とキリスト教

地球が宇宙の中心にあるという基本的な考え方は、1000年以上も正しいと考えられていくことになります。
なぜそれほどまで長期間支持されたのか、科学文明が未発達だったからでしょうか。
じつは、天動説はあの世界的な宗教、キリスト教と密接に関わっています。というのも、天動説は聖書の解釈と一致したからです。つまり、神様の教えとして天動説は正しいと考えられたため、キリスト教会によって世界の真実のように公式発表されることとなりました。
ちなみにですが、聖書では天動説が正しいとは明言されていません。あくまで聖書の記述をそのように解釈したというのが正確な表現です。聖書には太陽が動いていることをほのめがす記述など、天動説だと考えられる表現があったため、いわば都合よく解釈されたともいえます。
とはいえ、宇宙の中心がこの地球であると考えられれば、地球の支配者ともいえる人間こそがこの宇宙の中心とも思い込めるため、天動説は広く支持されることとなったのです。

天動説に生じた疑問

世界の中心で覇権を握ることができた天動説ですが、時代が進むにつれてその幻影に疑いが生じ始めてきました。
その理由の一つが、歴とのズレです。
当時、ユリウス暦という紀元前から続いてきた歴が使われていました。このユリウス歴は現在の365日とする太陽暦ですが、天動説を基にした計算では100年に0.8日ずつ実際の太陽周期とズレてしまったのです。そのため、16世紀が終わる頃には10日ほどのズレが生じてしまいました。

さらに15世紀末には大航海時代が幕を開けます。この当時、羅針盤の登場により安全な航海が可能となりました。それまでは、陸地が見えるとこじゃなければ目標地点を定めることができず、地平線彼方への遠洋は不可能だったのです。
羅針盤の方位磁石と正確な星図があれば、大海原に出ても自分たちの船の位置が正確に分かるようになりました。まさに画期的な発明と進歩です。
しかし、天動説を基にした星図はズレがあるということも同時に分かったのです。

地動説の登場

時代が進むにつれて環境や技術が変化進歩し、不動だったはずの天動説に陰りが見え始めました。
そこで登場したのが、コペルニクスによる地動説です。彼は地球が中心ではなく、太陽を中心に1年かけてぐるりと地球が回っていると提唱しました。
コペルニクスが提唱した地動説は現在の太陽系をかなり言い当てていたのです。地球だけでなく水星や金星、火星、木星、土星なども太陽の周りを公転し、さらに地球は地軸を軸に1日で自転しているなど、正確な部分も多々見受けられました。

キリスト教会との衝突

しかし、コペルニクスの提唱した地動説は、天下のキリスト教が世界の真実として疑わない天動説を真っ向から否定するとんでもない意見だったのです。
「神様が天動説のことを正しいと言っている」と思い込んでるキリスト教の人たちからすれば、地球が中心じゃないって説を認めるわけにもいきません。
また、コペルニクスはこの説を書物として発表したのは死後ですが、これは生前に堂々と地動説を発表することは、キリスト教会に宣戦布告しているようなものだったからともいわれています。

キリスト教会に真っ向から対立した地動説主義者ガリレオ

だれもが地動説を表立って言えないなか、堂々とキリスト教会に反駁する人物が後に登場します。その代表がガリレオです。コペルニクスの死後、ガリレオは地動説を強く支持して精密な観測を行い、地動説の正しさを実証して「天文対話」という著書まで出版しました。

彼は「聖書に書かれていることは古代ヘブライ人の見解にすぎないのだから、キリスト教自体の教えてはない」とキッパリ割り切って本の作成に取り掛かったというのですから、その後の流れは予想する必要すらありません。
当然のようにキリスト教会が黙っているわけはなかったのです。神の教えとして教会自体が正しいとして広めていた天動説を真っ向から否定したガリレオは、宗教裁判にかけられます。

ガリレオと宗教裁判

彼の著書「天文対話」では、天動説を明確に批判し、地動説が正しいということを分かりやすく論じていました。さらに、聖書が天動説の根拠としていたキリスト教会をバッサリ斬り捨てるような内容だったのです。
ガリレオ自身もカトリック信仰があったにもかかわらず、そしてキリスト教会という強大な存在を相手取りながら自分の信じた思いを貫くその姿勢……意志の強さが凄まじ過ぎます。
しかし、協会側もこんな態度を取られて黙っているわけにはいかず、彼を強制邸にローマへ連れて行き、半ば肝機能隊で裁判が進められたといいます。裁判の当時、ガリレオは70歳。裁判自体が相当過酷なものだったことでしょう。
そして、最終的に彼に言い渡されたのはなんと終身禁固刑。ですが、翌年には減刑されて、投獄されたり断罪されたわけではなく、フィレンツェ郊外での自宅謹慎に落ち着きました。
その後も謹慎中に研究を続けることはできたため、物体のたっか運動について論じた書物を著すなど、悲劇的な週末を迎えていないことには安堵できますね。

ケプラーの地動説

ガリレオと同時期に地動説を確信していた優勝な天文学者がいます。それがドイツのケプラーです。
ケプラーはドイツで最も古い大学の一つチュービンゲン大学でコペルニクスの地動説に出会い、惑星軌道の研究に没頭していくことになります。
そして、彼は当時の天動説では明らかにできなかった「遠隔力」というものを発見します。天動説では、惑星の運行速度や地球からの距離の間に相関関係を見いだせていませんでした。

しかし、ケプラーは太陽から惑星へ及んでいる何らかの力が、距離が大きくなるにつれて弱くなるという「遠隔力」の概念を導入することで、惑星の軌道を天動説よりも正確に説明できるようになりました。

「ケプラーの法則」の発見

その後、彼はブラーエというデンマークの天文学者の弟子となり、ブラーエの惑星運動に関する正確な観測データを用いて、惑星運動の3つの法則「ケプラーの法則」を発見します。
この法則の発見が、多くの学者に地動説を信じさせることになるのです。
第一法則は、「惑星は太陽をその1つの焦点にもつ楕円軌道の上を運動する」というもの。つまり、惑星は完全な円を描いて動いているのではないということです。
第二法則は「惑星と太陽を結ぶ線分が同じ時間に描く面積は等しい」というもの。言い換えると、惑星は太陽に接近した時に早く動くということを示しています。これは「面積速度の法則」とも呼ばれている法則です。
第三法則は、「惑星の太陽からの距離の3乗と、惑星の公転周期の2乗の比は一定で、すべての惑星で同じである」というもの。
ケプラーの功績により地動説の研究が進んでいき、地動説を支持されていきます。

地動説を確立したニュートン

ガリレオやケプラーが、地球を含んだ惑星が太陽の周りを周っていることを次々に明らかにしていき、地球を中心に宇宙が周っていることが懐疑的になっていく世界の中でも、キリスト教会は地動説を否定し、天動説を支持し続けました。

しかし、世の中では徐々に地動説が受け入れられるようになりつつありました。
そんな地動説ですが、どうやって惑星が太陽の周りを回っているのか、その運動の力がどこから生まれてくるのかはまだ明らかになっていませんでした。
そこに現れたのが天才ニュートンです。彼は軌道権さんなどの数学的理論化を進めていき、1687年にとある学説を発表しました。それが「万有引力の法則」です。
この法則によって惑星運動も太陽の引力によって起こっていると説明されました。つまり、地球が中心となっているのではなく、太陽が中心となっているということが疑いのない心理とされるに至り、長きに渡ったキリスト教会の天動説は王座から退くこととなったのです。

天動説と地動説はどちらも正しい?

宗教観による人間の解釈などが混ざり、長きに渡って宇宙の真理がなにか解明するのに時間を要した天動説と地動説の対立。宇宙の真理を明確にしようと孤立奮闘した学者の力によって、世界の常識とされたものが覆った事実は感動に値します。
ところが、現在では地動説が完全に正しいというわけではないとされています。というのは、地動説が誤っているというわけではありません。天動説的な捉え方をすることもできるのではないかと、現在は考えられているのです。
天動説では、宇宙の中心を地球と捉えていました。対して、地動説は太陽を宇宙の中心と考えられてきました。
しかし、この宇宙の中心を決めること自体がそもそも可能なのかと論じられ始めたのです。
そして、現在では宇宙の中心は決めることができないという結論に至っています。そのため、地動説でいうところの、宇宙の中心が太陽とはいかなくなりました。
ある意味では、天動説の考え方も地動説の考え方もどちらも正しいとされているのです。

なにが宇宙で動いているのか、止まっているのか

天動説と地動説の本質的な違いは、地球か太陽、どっちが中心なのか、言い換えるとどちらが止まっているか、ということになります。
何が動いてるか何が止まってるかってのが、どれを中心と捉えるかの基準になっています。
しかし、宇宙には何かを止まってると決められるような基準が何一つないので、なにを中心であるかを決めることができないとうのが、20世紀前半の人類の見解です。
逆に言えば、なんでも中心であるとも考えられる、ということで、ある意味では天動説と地動説はどちらも正しいのではないかといわれています。

なにが真理なのかを追求し続ける科学

真理を追求しようとしようとする科学でも、その時代の発見によって見解が大きく変わります。今後も宇宙での新たな発見があるたびに、天動説や地動説とは異なる新たな説が生まれるかもしれません。
古代の宇宙論では、無から宇宙が生まれた、原人が創作した、地球は平面であり最果てに行けば星から落ちるとまで考えられていたのです。それから人類の科学が発展するたびに、道の世界や宇宙が解明され続けてきました。
時代によって常識が非常識と様変わりし、戸惑うこともあるでしょう。しかし、それゆえに進歩があります。
これからも未知の発見がいくつも生まれて、私たちを驚かせ続けるでしょう。その驚きを素直に受け入れ、そして疑問視し、新たな説や発見者の一人として世に持論を発信するのもいいかもしれません。
世界と戦った偉大な科学者たちのように、疑問を臆さず口にし、発信することで、世界を変えるきっかけを生み出すことができるかもしれません。

この記事を書いた人

MIYAMOTO

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