結婚式や謝恩会など、お披露目の舞台で華々しく着飾るドレス。今となってはこのように催し物のときに着るものとなっていますが、昔は当たり前に着用されていたものです。
昔の西洋の民族衣装ともいえるドレスが、現代でも女性の憧れの一つとしてキラキラした眼差しで見つめられるのは改めて驚きです。
やはり豪華絢爛、着るだけで特別な存在にでも思えるような力と魅力があるのではないでしょうか。
そんなドレスの歴史を、今回は紐解いていきたいと思います。洋服なので西洋の歴史を語るお話になります。
目次
そもそもドレスとは?
ドレスと一言で言ってもなにを指すのでしょうか?
純白のウェディングドレスも、社交界で着飾る鮮やかなドレスも、夜のお仕事の綺麗なお姉さんのドレスも、だいぶ種類は違いますがすべてドレスです。
ドレスとは一言でいうと西洋の民族衣装。民族衣装がドレスというのも西洋文化の華やかさを象徴しているような気はします。
というのも、日本で民族衣装といえば着物です。着物はもちろん素晴らしい衣類ですが、ドレスと比べると違いが歴然。
まず着物は衣類自体がシンプルなパーツで構成されています。パーツが少ないゆえに作ることも着ることも簡単で、しかも平面的なつくりのため身体のラインを隠す特徴があります。
これに対して、ドレスは曲線で断たれた複雑なパーツでつくられているため、衣類自体のつくりは着物比べてもつくる手間がかかります。それだけでなく、体のラインを強調するつくりのため、ウエストサイズが合わなければ着ることもできません。
このように、ドレスはシルエットが重要な民族衣装といえます。それぞれの文化の違いが見て取れるのでなかなかユニークです。また、いかに西洋文化の見た目をどのように重視していたかも見て取れます。
時代ごとにそのドレスの見た目は変わっていくので後々紹介していきましょう。
ドレスはいつ生まれた?
ドレスの歴史は古く、15世紀頃にはドレスの原型ともいえるものが誕生しています。
ドレスが発展したのは中世ヨーロッパの貴族文化から。この豪華絢爛なイメージは現代人にとっても一つの憧れの型になっていますし、結婚式など特別な舞台でドレスを纏うのはこれら華やかな世界観を体現するためでしょう。
当時の中世貴族文化の渦中にいた女性たちにとっても同じことがいえます。毎晩のようにパーティに参加する女性たちによって、美しく煌びやかなドレスを見に纏うことは必須。ドレスコードという言葉が現代でもあるように、ドレスを身に纏っていなければまず入り口に入ることすらできません。
美しさと権威の象徴ともいえるドレス。自分の価値を示し誇張し見せびらかすため、競い合うようにドレスを仕立てていったため、中世貴族文化という独特で特異な世界のなかで自然とドレス文化は発展していきました。
ドレスを着飾る女性は浮気し放題!?
こんな話を持ち出すのもあれですが、華やかな世界には男女の乱痴気騒ぎが非常に大切になると思うので、ぜひとも紹介したい内容です。(なにゆえドレスがルック至上主義なのかというのも、考えるまでもなく魅せるためですからね。じゃあ魅せる相手が必要っしょ!)
パーティに参加する女性たちは、必然的にというか「それが目的なんじゃないの?」という形で様々な男性と出逢います。そして当然のように、恋なのか遊びなのかよく分からない関係を持ちます。ええ。旦那がいようとも。
で、です。時代にもよりますが、社交界に顔を出して華やかにドレスを着飾った嫁さんたちが問答無用で不倫をしまくるその様を、旦那はどうしてたかというと。
嫁が浮気するのを受け入れるのが男の器の大きさを測るというなんとも女性にとって非常に好都合な男らしさの文化があったようです。女性にとっては朗報ですね!
このため、浮気する気満々でおめかしする妻を、旦那は笑顔で送り届ける光景が西洋では広がっていたようです。男の格の示し方がなかなかユニークですね。
ドレス界のオシャレアイコン「マリー・アントワネット」
後で紹介しますが、ドレスの文化は15世紀に華やぐことになります。じゃあスタート自体はいつかというと、11世紀頃に遡ることもできます。(民族衣装の起源でいえばもっと遡れるでしょうが、ドレスのくくりで考えて、とりあえずは11世紀頃から紹介します。)
このドレス、民族衣装の中でもとりわけオシャレさを重視した側面がありますから、当然のように見た目のイケてる具合は非常に重要。そのなかで登場するのがオシャレのアイコンになる人物。
いまでもアーティストなり有名人でみんなが注目するファッショニスタはいますが、貴族界でも女帝といえる存在がいました。というよりそのまんま女帝です。
その名は「マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ」(長いですね)
そう、マリー・アントワネットです。1755年11月2日生まれ、フランス国王ルイ16世の王妃、フランス革命で処刑されたいろんな意味で現代でも有名な彼女です。
彼女については単独でコラムとして紹介したいほど逸話と魅力が凝縮された存在ですが、マリー・アントワネットはドレス文化においても重要な人物です。というのも、彼女がドレスの流行をいくつも生み出しているから。
たとえば、ドレスのイメージの一つにもなっているコルセットで異常にウエストを細く縛りつけたルック。これは彼女の考案したものです。
ほかにも、胸元を大きく開けて強調するルックも彼女によるもの。ドレスの象徴的なイメージであるものをいくつも生み出しているのです。
マリー・アントワネットのファッションに対する熱い思いは、処刑前とある逸話にも残っているほどです。彼女は9ヶ月間を独房で過ごしたにもかかわらず、まったく汚れのない真っ白な服を着ていたのだとか。これは、いつまでも印象に残る服装で生涯を終えようとする彼女の強靭な意思の表れだったようです。
そんな彼女のルックに対する常人離れした意思は現代のパリコレでも反映されており、2020年のショーでは彼女のドレススタイルをモチーフにしたブランドが話題になったほどです。
ファッション界においてマリー・アントワネットとは欠かせない存在。そもそも中世においてその存在は圧倒的だったゆえに、またどこかで彼女については触れようと思います。
華やかなドレスは着るのも大変!?
話をドレス文化に戻しましょう。とにかくファッショニスタも愛した煌びやかに着飾ることを最重視されたドレスですが、あまりに見た目を重視し過ぎたあまり衣服として致命的な構造をしていたのも事実。
というのも、まず脱ぐのも着るのも大変だったのです。先に紹介した着物が秒で着脱できる画期的な衣服と比べれば、いかにドレスが洋服としてめんどいのかが伺えます。
着脱が大変だからドレスのシルエットをふわっと大きくして、どこでも排泄できるようにしていたという話も有名です。(そのためヴェルサイユ宮殿は排泄部にまみれていたという話もありますね。おい!)
また、ハイヒールはそういった排泄物を踏んづけても対丈夫なように高く高く作られていったようです。発達の仕方がとんでもない理由ですね。いまではいい女の代名詞だというのに。(個人的にハイヒールを履く女性は素敵だと思うので、生まれた理由がユニーク過ぎてとても愉快です)
ちなみに着脱が余裕な日本文化は、下水処理が発達していたため非常に清潔な国としても有名です。外見を華やかにしまくっていたドレス文化の中心、花のパリがクソまみれだったというのに、素朴で機能的な着物を着た日本の方が清潔で健康的だというのは、いかにドレス文化が外見至上主義だったかが垣間見得て非常に興味深いです。
この着脱の大変さや、見た目重視のドレスというのが時代を経るにつれてなぜ姿を消していったのか、というのも非常に面白い流れがあります。女性と社会の関わりが変わっていけば衣服も変わるというのは、ドレスに限らずファッションが生活と密接につながっているということでもりますが、それはまた別のお話。
中世ではドレスの下にパンツ禁止!
ちなみに、中世の女性はパンツを履いていなかったのだとか。これはボタン同様パンツが存在しなかった、のではなく、キリスト教の教義によるもの。
当時、パンツは男性の衣類でした。そして、キリスト教義では男性の衣類を女性が身につけてはいけないとされていたため、女性はパンツを履くことが許されていなかったのです。
西洋においてキリスト教は密接に関わっているので、西洋を知るにはことルックにおいても宗教を知ることは重要ですね。
ちなみに教義によると、パンツを履くと神、つまり主がパンツを履く者を忌み嫌うから絶対やっちゃいけなかったようです。創造主である神に嫌われるなら、パンツなんて履いてる場合じゃなかった、ということですね…。
ドレスの歴史
さて、今回の話題はドレス文化についてなので、ドレスの歴史をざっと辿っていきましょう。
中世がドレス文化を象徴する中心であり震源地ではありますが、歴史は脈々と受け継がれて現在と未来があるもの。過去に遡れば、11世紀頃からドレスの歴史を知ることができそうです。
11世紀から13世紀
ロマネスクからゴシックと呼ばれる時代です。
ドレスにおいて重要な要素が体へのフィット感だとすれば、この頃に生まれた「笮衣型(さくいがた)」衣装は重要な民族衣装といえるでしょう。
体の線に沿って布を裁断して縫製された衣服のため、体のラインを強調することができます。
しかし、ある難点が。この頃、まだボタンは発明されていませんでした。ということは、着脱が非常に面倒だったのです。
そのため、1人で衣装を脱ぐことも着ることもできず、だれかの補助は必要不可欠でした。
そもそもボタンが無いというのが過去の歴史っぽくてなかなか興味深いですね。ボタンを外せないから母親に服を着せてもらうのが子供ですが、ボタンが無いからだれかに服を着せてもらうのが中世盛期の女性だったということです。
14世紀から16世紀
後期ゴシックからルネサンスの時代、中世では後期にあたります。
この時代になるとやっとボタンが普及して、ドレスを脱ぎ着しやすくなりました。やったね!
そして以前にも増して体のラインにピッタリとくっついたドレスがイケているという風潮になってきます。
そのため、ボタンがなければ着ることすら不可能に近くなっていたのかもしれません。ボタンの発明は偉大だったことでしょう。
ちなみに、15世紀には中世貴族界のファッションシーンにおいてとある革命が起こります。
それは宝石の解禁です。
「どういうこと?」となるかもしれませんが、じつは宝石は15世紀頃までは男性が身につけるものでした。宝石はファッションアイテムではなく、戦いにいく騎士のお守りとして存在していたため、女性が身につけることは許されていなかったのです。けっこう意外ですよね?
お守りとして重宝されていた宝石でしたが、時代を経るにしたがって権力の象徴に移り変わっていきます。その結果、女性も身につけるアイテムになっていったのです。
美しく煌びやかな宝石を身につけていいと分かった途端、その反動からか、女性はドレスにこれでもかとジュエリーを纏い倒すことになります。
あまりに纏いまくったため、16世紀はとてつもないドレスが誕生します。
なんと、元々ドレス自体に宝石を縫い込まれたのです。それも一部ではなく、ドレス全体に。
豪華絢爛に百花繚乱、華麗で美麗な燦爛たる装いはまさにゴージャスそのもの。ハンパじゃない重量だったことでしょうがジュエリーを身に纏うことはさぞ着る者を恍惚とさせたことでしょう。
ちなみに、16世紀にはコルセットやペチコートも登場し、ドレスを象徴する細い腰と膨らんだスカートのルックが登場します。
現代の人がイメージするドレスらしい衣装に近づいてきたということ。
そしてドレスの時代ともいえる次代がやってきます。
17世紀から18世紀
バロックからロココ時代と形容されるこの頃がもっともドレス文化を象徴するのではないでしょうか。
リボンやレースが誕生したので、女性らしい「可愛い」が発展した時代ですね。
しかし、意外にもリボンやレースは、当時男性のものだったのです。当時の絵画を見ると、自信満々にレースやリボンで装飾しまくった男性が描かれています。
ちなみにこの頃になると、縫い込まれた宝石よりもデザイン性、つまりいかに趣向をこらした造りなのかが重要視されてきました。ただ高級であればいいのではなく、センスを問われるようになってきたということでしょうか。
その時代性を反映してか、この時代に初めてファッション誌が発行されることに。まさにドレスファッション時代の黄金期!
ロココ時代にはパニエと呼ばれる針金やクジラのヒゲで作られたカゴ状の下着が開発され、スカートは以前にも増してどんどんポヨンと膨らんでいきます。
ありえないくらいスカートが膨らんでいるドレスを着た女性が絵画などで描かれていますが、あれは誇張ではなくバニエによってスカートを膨らませているからです。ちなみに、現代でも形は異なりますが、ウェディングドレスやワンピースを着用する際に用いられています。
18世紀から19世紀に突入
先ほど、マリー・アントワネットがドレス文化の震源地と言いましたが、いろんな意味で時の人であった彼女はフランス革命においてその命を終了します。
そしてフランス革命はドレス文化にも多大な影響を与えることとなります。豪華で華美だったドレスが一気に質素なスタイルへと変貌するのです。
エンパイア・スタイルと呼ばれる透けるような薄い木綿のドレスを見に纏い、リボンやレースなど装飾的な要素も排除されていきました。
これはフランス革命前のバロック・ロココという豪華絢爛な装飾様式に対する批判とともに、古代ギリシャやローマという古代に対する憧れから生まれたスタイルです。
いわゆるカウンターカルチャーというやつですね。文化において流行しているものの反動で全く異なるスタイルが生まれるというのは、ファッションにおいても音楽史においても芸術においても発生するもの。(メインカルチャーに対する反骨!個人的にもとても興味深く好きな文化です!)
ちなみにエンパイアスタイルという名称の元は、当時のエンパイア、つまり帝国を支配していた超有名人と関係があります。時の皇帝ナポレオンです。しかしナポレオンがドレスの提唱者ではなく、皇紀ジョセフィーヌが愛用していたことから名付けられました。
しかしこのスタイル、脱装飾的なスタイルを貫き過ぎてあまりに薄着だったため、体調を崩す女性が大量発生しました。しかも笑えないことに、当時インフルエンザが大流行し、風邪や肺炎で命を落とす人がめちゃくちゃいたそうです。ちなみに、フランスは北海道と同じ緯度なので、命懸けで流行りのファッションを身に纏っていたことになりますね。ネタにできない冗談です。
19世紀初頭
ナポレオンが世界を散々世界を侵略し倒した後、国境やら治安やらはむっちゃくちゃになりました。散々世界を引っ掻きましたナポレオンが失脚してからは、ウィーンを中心にフランス革命前の世界に戻す運動が盛んになります。
これにともない、ドレス文化も以前のような華やかさを取り戻すことに。スカートに膨らみがあり、さらに袖も膨らんだスタイルが特徴として見られます。
そして19世紀の中頃には、クリノリンスタイルが登場します。ワイヤーや鯨の髭を使って籠状に組んだスカートを広げるための下着で、柔らかい素材のスカートをこれでもかと膨らませたのです。よく絵画でスカートがありえないくらい広がってるドレス姿を見かけますが、あれは誇張ではなく実際にクリノリンを使って物理的にスカートを広げています。
また、この頃にはミシンが登場して、装飾文化も華やぐことに。複雑に重なったフリルを縫い付けて、より一層ドレスは華美な装いを可能とします。
しかし、この女性らしいスタイルを強調するクリノリンスタイルは、見た目の華やかさこそあれど、実用性なんざ1ミリもありません。そのせいで、さまざまな事故を誘発することに。
たとえば椅子に座ろうとすれば腰掛けられずぶっ倒れたり、暖炉の近くを歩けば広がったスカートの裾に引火したり、ただ歩いてるだけでも立ってるだけでもバランスを崩して転倒するなど、日常生活に支障をきたしまくりました。あまりに事故が多いため、当時の風刺画がたくさん残されているほどです。
ここまで身の危険を晒してまでファッションやってられるかということで、別のスタイルが生まれます。お尻にボリュームを持たせたバッスルスタイルです。
このスタイルを明治時代に日本へやってきたドレスのスタイルでもあり、日本でも馴染みのあるドレスでもあります。
バッスルの語源は、お尻部分のボリュームを作っているバッスルと呼ばれる下着から。くびれとお尻のボリュームを強調したS字のラインは女性のセクシーさを際立たせるスタイルです。
そして20世紀
時代はついに20世紀に突入。この時代にはドレス文化の代名詞となっていたとあるものが撤廃されます。コルセットです。
ドレスは時が経つにつれてシンプルになっていきます。これには先ほども紹介したただ歩くだけで燃えるという手品みたいな事故を起こしていたように、ドレスはルック重視であり見た目の文化であり、実用性はありませんでした。ところが女性が社会進出をする時代に伴い、ドレス文化はシンプルになっていき、そして廃れていったのです。
時は20世紀。女性の社会との関わり方が大きく変わる時代。画家グスタフクリムトの恋人であったエミリーエが中心になってコルセットなしの洋服を提案し、世の女性に広がっていきます。
自動車や鉄道などが発達することで、裾の広がったドレスは車輪に巻き込まれるため危なく、女性たちはドレスを脱ぎ捨ててシンプルなスタイルで社会へと颯爽と出ていきます。
この頃からドレスはより簡素になり、次第にいまでいう洋服へと姿を変えていきます。
時代が変わり、女性が変わり、姿を変えたドレス
ドレスは見た目の華やかさを最重視したため、なかなか滑稽な事情が付き纏ったのも事実です。1人で着脱もできなかったり、歩くだけで事故起こしたり、身体に苦痛を与えてまで着用したり、機能性とは真逆の立場を貫き倒していました。
しかし、だからこそ今日の絵画でも見るように、着るだけで芸術であり、存在するだけで美しいというのは、いつの時代の女性にとって憧れの一つの形ですし、やはり特異な文化だからこそ放つ魅力というのもあります。
だからこそ結婚式や晴れの舞台でいまでも見に纏いたがれるのでしょう。
とはいえ、逆に言えば女性が自ら率先して動くことを望まれていなかった世界だ、ということも案に示しているのではないでしょうか。実際に、女性が活発に社会進出するにつれて、ドレスは姿を消していきました。それは女性がただ華やかな衣服を身に纏ってそこにいるだけの存在だったということを華美なドレス文化が物語っているようにも思えます。
社会と女性との関わりが身に纏うファッションから窺い知ることができるのは、歴史を紐解く上でも好奇心をかきらてられるとともに、文化における闇の側面を感じることにもつながります。
豪華絢爛、華美で煌びやかな世界で、女性は常にドレスというある種の拘束具に身を包み、不自由な思いをしていたという側面もなくはないでしょう。
ドレス文化の栄華と、ドレス文化の衰退は、女性と社会との関係を理解する上でも改めて重要だと思います。女性が自由になり、自由の象徴としてドレスを身に纏うことができるというのが、最も健全なのではないでしょうか。
だからこそ、晴れの舞台で堂々とドレスを身に纏うという現代のドレスを楽しみ方は、女性にとって最も活き活きととした身に付け方かもしれません。