歴史の中に文化あり。様々な起源が過去を彩り、今を生み出し、未来を創りあげていく。
「それって一体どうやって生まれたの?なんで進化したの?」という興味は尽きないばかり。
ということで今回ご紹介したいのは『銃の歴史』です!
相手を倒すために生まれた物騒なものではありますが、その歴史はあまり知られていないのでは?
どうやって生まれたのか、早速見ていきましょう!
目次
火薬から始まった銃の歴史
しょっぱなからアレですが、正確な銃の起源は不明です。とはいえ、800年ほどの歴史があるといわれています。日本でいえば鎌倉時代にあたる頃です。
そして、銃を語るには欠かせないものが、さらに400年前に生まれました。
そこで、いまから1200年前に遡って銃として歴史を紐解いていきましょう。
1200年前に一体なにが生まれたのか。
火薬です。
正確な発明時期は不明とされていますが、618年から907年、中国の唐代に書かれた「真元妙道要路」には、黒色火薬が発明されていた可能性を示唆される記述があります。黒色火薬とは火薬の一種で、火薬の中で最も古い歴史をもつもの。
それによると、硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいと記されているのです。
銃を含めた下記の歴史は、火薬から始まっているともいえます。その火薬を生み出した中国で、銃の始祖とも呼べる武器が生まれたのです。
火槍の誕生
「火薬を使って筒から弾丸をぶっぱなす機構を備えるというもの」を銃とするなら、銃の起源と呼べる武器は火槍が挙げられます。
実際の戦闘で使用されたごく初期の火薬兵器である火槍は、かなりシンプルな構造でした。しかし、火薬が火器の起源であるなら、銃という兵器の起源はこの火槍となるでしょう。
構造は、火薬を紙で包んだ物や、竹に火薬を詰めた物を長い柄の先に取り付けます。それに火をつけて敵に突き出して攻撃をするというものです。
当時の火薬は不純物も多く、爆発力は弱くて武器としてではなく威嚇用として使われました。爆発音は300メートル先まで到達したため、威嚇の効果はありましたが、相手を攻撃するにはまだまだ不十分。
中国から海外へ広がった銃の機構
しかし、銃の基礎ともなる機構は中国国内からシルクロード経由で外国に伝来しました。この火槍の構造を応用して生まれたのが、「マドファ」という銃です。
12世紀から13世紀にアラブで使われた初期の銃であり、口径20mmの金属の銃身に柄がついていました。
同様の武器は後にヨーロッパでも使われるようになります。
マドファはタッチホール式と呼ばれる点火方式で、点火するための穴に直接火を触れさせて発泡するものでした。旧式の点火方法のため、精度もかなり悪く、銃としてはまだ発展途上といったところです。
そしてヨーロッパで飛躍的な進化
ヨーロッパへ伝わった銃の技術は、1400から1500年にかけて進化してくことになります。ちなみにこの頃、開発元である中国では銃の進化は止まっていたようです。というのも、戦争がなくなったため銃を改良する必要性がなくなったのではないかと言われています。
言い換えれば、ヨーロッパは銃という火器が必要とされていた情勢だった、ともいえますね。
争いの絶えない事情もあり、中国で生まれた銃機構は、ヨーロッパで急速な発展を遂げることになります。
そこで発展したのが点火方法です。
サーペンタインロック式と呼ばれる、銃の引き金の最初期の構造でもあります。着火に使うための火種をS字型の金具を引き金として火薬に点火できるようにしました。
このため、タッチホール式の問題点であった、火種と銃本体をそれぞれ別で守る必要がなくなり、命中精度も上げることができたのです。
タッチホール式では、点火するために手動で点火口に火を近づけて火薬に着火させる必要がありました。
このサーペンタインロック式なら、引き金を引くことで点火するためターゲットを狙いながら打てたのです。
しかし、このS字の引き金は大きかったため、引き金を引くには腕を引くか、手を握る必要がありました。そのためまだまだ改良の余地がある機構だったのです。
火縄銃の登場
時代を経るにつれて進化を遂げていく銃の構造。次の時代にはいよいよ火縄銃が登場します。
火縄銃はマッチロック式と呼ばれる機構をしており、人差し指で引き金が引けるようになりました。これにより、銃を発射するということが簡易になり、精度も向上することに。
さらに精度を上げるために、銃の先端に照星、後方に照門と呼ばれる敵を狙い撃つための照準が備えられ、より正確にターゲットを狙えるようになりました。
しかし、火縄銃もまだ銃として完成されているとはいえません。火縄銃はその名の通り、縄に火をつけて点火するのですが、約20秒は姿勢を保持しなければ発射できませんでした。
しかも、天気にも弱いというデメリットにもつながります。なぜなら、縄が湿ると当然ですが点火できません。
そのため、点火方法自体を改善する必要性があったのです。
雷管の発明
1822年、ジョシュアショウという人物によって画期的なものが生まれます。
雷管です。雷管とは、雷汞(らいこう)という物質が入った金属製の入れ物です。雷汞は軽い衝撃で爆発する性質があったため、ジョシュアショウはこの性質を活かして、雷汞を金属製の入れ物、つまり雷管で保護し、撃鉄で叩いて爆発させる構造を生み出しました。
この撃鉄を雷管にぶつけて着火する方法はパーカッションロック式といいます。この構造なら火縄銃のように20秒間点火を待つことも、雨で縄が湿ることも解消されたのです。
ちなみに発明者のジョシュアショウは芸術家だったそうです。芸術家とは一体なんなんでしょうか?
弾をどう込めるか?
とにかく、かなり銃は進歩してきましたね。しかし、まだまだ銃の問題は解消されていません。
なぜなら、弾を込める手間が解消されていなかったのです。当時の銃は銃身の先っちょからからいちいち銃弾を装填する必要がありました。
しかも、ただ入れるだけではなく、ハンマーで先端をコツコツ叩いて入れる必要があるため、一発込めるたびにかなりの時間を要したのです。
ミニエー弾の開発
そのため、銃弾自体の開発が重視されました。
そこで1849年、フランスの陸軍大尉クロード=エティエンヌ・ミニエーにより弾丸の開発が行われてある銃が開発されました。銃自体の進化はずっとしていましたが、銃弾の進化はじつに300年ぶりという快挙です。
それまで弾は球状でしたが、命中精度を上げるためにどんぐり型の弾丸を製造。彼の名前をとってミニエー弾と呼ばれ、この銃が装填された銃をミニエー銃と呼ばれました。この銃と弾丸により、射撃精度や弾丸の飛距離は3倍以上に伸び、さらに装填時間の短縮もできると、銃のクオリティが格段にアップしたのです。
戦争での主力武器として重宝
ここまで銃が進化すると、いよいよ実戦でも積極的に取り入れられることになります。1850年頃に世界各国で起こっていた戦争で活躍する主力武器となっていきました。それにつれて、銃はより進化していきます。
より便利かつ有用にするには、連射機能の実現が望まれたのです。
リボルバーの誕生
ミニエー銃は銃として有用でありながら、弾を一発ずつ込める必要があったのです。そこで弾を込める手間を省き、連発することができる銃機構は広く望まれていました。
連射機構自体は、1500年後半には開発自体はされていたようですが、当時はまだ火縄銃の時代。
火縄銃の機構で連射を実現するのは不可能ったのです。
しかし、1820年頃には撃鉄による着火、パーカッション式の発明によって、ある画期的な機構が実現するに至りました。
それがリボルバーです。この名前に聞き覚えがいる人も多いのではないでしょうか。銃が現代の機構にどんどん近づいている証拠。
リボルバーは撃鉄を雷管に当てて発砲する衝撃を利用し、シリンダーと呼ばれる銃弾が複数入った機構を回転させることで、連射発砲できるようにしました。
この機構を生み出したのは、アメリカの銃の父と言われるサミュエルコルトです。
そして、彼はリボルバーの祖、コルトパターソンの開発や、コルトドラグーンなど生産し、アメリカ軍の正式拳銃として採用されるなどアメリカの銃文化に大きく貢献しておくことになります。
弾丸の装填をより短縮したい
より近代的な姿を帯びてきた銃ですが、改善の余地はまだまだありました。
リボルバーはたしかに画期的な銃でしたが、弾丸の装填にまだ時間がかかったのです。というのも、銃弾と雷管を別々に装填する必要があった、というのが最大のネック。
どういうことかというと、つまり弾だけ詰めりゃいいわけではなかったというわけです。
弾を込めるだけでいい現代の機構が登場します。
1857年、スミス&ウェストン社がリボルバーの改良版として、雷管をなくして弾丸だけを装填することで発射できる機構を生み出します。この金属薬莢によって弾丸のみでの射出を可能にし、さらにリボルバー機構に重ね合わせることで、弾を込めるだけで連写できる銃が生まれます。これらの銃は容易に扱うことができたため、1870年頃には銃が普及しまくることに。
それ以降は、手動で撃鉄を起こしトリガーを引いて発射する機構(シングルアクション)から、
トリガーを引くとハンマーが起き上がるためトリガーを引くだけで発射できる機構(ダブルアクション)への進化など、より手軽に発射できる機構に進化していき、ハンドガンはほぼ現代の形になっていったのです。
連射ではなく連発したい
1830年に薬莢が開発されてから、銃の進化は留まることを知りません。ハンドガンではなく、より強力な銃の開発に着手します。
それが技術的に困難だった連射銃、機関銃が実現にいたるのです。つまり、いよいよ銃は一発一発を発射するのではなく、簡単に連続射出できる時代へと突入します。
機関銃の構想
弾丸を連続で射出するという構想自体は古くからありました。
たとえば、1339年にはイギリスでオルガン銃というものが開発されています。
しかし、連射する機構を備えているというわけではなく、単に銃身を複数横に並べて、まるでオルガンのような形状をしていたという代物。
機構として連続発射するようなものではなく、技術的にも連射機構を備えるのはしばらく不可能でした。
ところが、銃の進化の歴史をみてきたとおり、銃の機構は飛躍的な進化を遂げていきました。
そこで、連射を実現するにいたる機構がそろってきたともいえるのです。
ガトリング砲の登場
機関銃、つまり連発する銃が登場するには、1830年代に登場した薬莢が大きく貢献します。
薬莢によって1発1発の射出が容易となり、連発銃の開発は大きく前進することとなります。
そして登場したのがガトリング砲です。この名称はかなり有名なため、聞き覚えがある人も多いはず。
しかし、ガトリング「砲」と呼称するように、銃としてではなく、どちらかというと砲台に近い大きさでした。銃は巨大で、人が抱えるのではなく大きな車輪と台座で支える必要があり、さらには機構も複雑で故障も多く、操作も難しかったのです。
戦況に革命を起こしたマキシム機関銃
とはいえ、連発する機構を備えていることは画期的で、なんとかこの機構を用いて銃に利用できないかと考えた人物がいます。ハイラム・マキシムです。
彼は威力の強い銃には必ず強い反動が起こることに着目し、強い反動を利用して次の弾丸が装填される構想をつくりだしました。
そこでガトリング砲の機構を参考にして1884年に生まれたのが、マキシム機関銃です。これは最初期の実用的な機関銃として、戦場に革命をもたらし、以後の戦場を変えた画期的な武器です。
事実、この一丁だけで多数の敵兵を一気に倒すだけの現実的な連射力を兼ね備えていました。
さらに、ガトリング砲は手回し式のクランクハンドルでの操作で銃を扱う必要があったと異なり、マキシム機関銃は銃の強い反動を利用して空薬莢の排出と次弾の装填を可能としていたため、人力を必要としない機構を実現させたのです。
つまり、簡単に連発して、簡単に多くの敵を倒せる機関銃が生まれてしまいました。
当然のように世界中で売れに売れ、戦争の情勢を大きく変えることになります。
戦況の変化によりサブマシンガンが登場
1900年には近距離戦が増えることで、ハンドガンでは威力不足だと嘆かれることになりました。
銃の機構が進化して射出の手間がなくなったとはいえ、単発での発射では複数の敵に太刀打ちできません。
また、単発での発射だと動き回る相手にヒットさせることも難しいため、ハンドガンよりも強力な近接武器の存在が求められることになったのです。
そこで、連射機構の進化が功を成すことに。
ドイツ軍が接近戦での威力と強さを兼ね備えた画期的な武器の開発に成功しました。
MP18。これは後に、サブマシンガンの始祖とも呼ばれるもので、機関銃の機構を小型化して、接近戦で歩兵が銃を連発できる武器の形態を可能としたのです。
接近戦においてサブマシンガンは猛威をふるい、ドイツ軍はイギリスなどを相手に連戦連勝。8日間で前線を65kmも伸ばすことに成功しました。
アサルトライフルの登場
以降、機関銃の機構を応用して自動銃の開発が積極的になります。
第一次世界大戦後は不況が続き、1930年代から新たな銃の開発が進みます。
というのも、時代は第二次世界大戦へと近づいていたためです。
これまでサブマシンガンは100m以内の接近戦で強い武器でしたが、100m外の攻撃には不向きでした。
長距離用にはスナイパーライフルというものがありましたが、これは名前の通り遠距離から敵を狙撃することが目的であり、1000mから2000mの遠距離用武器でした。
そのため、100mから1000mの中距離向けの武器がなかったのです。
第二次世界大戦の前線兵士にとって待望となったのは、100mから1000mの制圧。そこで開発されたのがアサルトライフルです。
中距離線で連射することができて、かつスナイパーライフルのように大きな反動がないため、扱いも困難ではありません。
アサルトライフルといえばソ連のAK-47が有名です。AK-47はソ連の極寒に耐えることができ、高温多湿でも利用できる頑丈さ、さらには部品が安価という多大なるメリットを兼ね備えていました。
(ちなみにビジュアルもすごくいいです。金属部品と木製が合わさったようなルックスに洗練されたボディは機構を知らずとも心躍らせるまさにロマンがあります。)
ちなみに、ソ連製のAK-47に対してアメリカではM16が生まれます。しかしこのM16は、高性能過ぎるがゆえに扱いが難しく、耐久性もAK-47には劣るという側面がありました。
高性能であればいいというわけではなく、武器は扱いやすさや頑丈さが大切だということを物語るエピソードでもあるでしょう。
(M16の黒黒しくシャープな外観はとてもかっこいいのですが。)
ちなみにソ連とアメリカということは、冷戦時代ということです。武器の背景には必ず争いがある、ということは忘れてはならない事実です。
現代でも開発され続ける銃
銃の進化というのは戦争の歴史を物語るため、あまりカッコよさや魅力という側面だけで語るのは誤りでしょう。
しかし、敵を殺傷することが目的ということであれ、その目的を達成するためだけに特化した様式美であり機能美がその外観から表れているのもまた事実。
たとえばF1レースの車両や谷に掛かる大鉄橋しかり、その実用性や性能を追求したゆえに決定する外観というのは、自然界のそれとは完全に隔絶され、人工という特殊な枠組みで形成されたいわば世界の異物。その異物から醸し出される異様さであり、またそこに人工ゆえに備わるディティールは人間であるからこそ意味を見出し、感性という琴線に触れるのかもしれません。
現在でも新しい銃はどんどん作られています。レーザーを用いて数km先の兵士に直撃させ、失明させるという銃。または弾丸を曲げて発射し、壁に隠れた状態からでも対象物を狙撃するなど、もはや創作作品に登場するような武器の開発も行われているほどです。
あまりにも強力すぎて、人道に反するという理由から開発が中止になるような武器すら登場しています。人類の進化と武器は切っても切り離せないものであり、戦争の発展が数々の技術進歩の躍進に貢献してきた事実もあります。
銃の進化について
この進化をどう捉えるのかは人それぞれでしょう。悲惨なものと捉える人もいれば、強力かつ驚くような機構にテンションが上がる人、単純に見た目のカッコよさに魅了されるなど、銃や武器にまつわる意見は千差万別。
あえてここでは語りませんが、銃の進化を紹介するにつれて、機構の進化だけでは留まらない思いも生まれました。
ただ、僕自身は銃というものを否定的には捉えていませんし、やはり心をくすぐられるものでもあります。
だからこそ紹介したかったというのもありますが、単純な魅力としてだけは伝えたくないという思いもあります。
今後新しい銃が開発されるたびに、ある種の感動と恐怖が常に入り混じりながら、その実態に好奇心をそそられることでしょう。
歴史があるからこそ今がある。そして今があるからこそ未来が。
この先の銃の進化からも目が離せません。