世界的な偉人といえば、みなさんだれの名前を思い浮かべますか?
レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタイン、トーマス・エジソンなど、だれもが知る偉人たちはその名が轟くだけの偉業を成し遂げています。
ところが、偉業を成し遂げていながらもあまり有名ではない偉人がいます。それも、先ほど紹介したエジソンに科学の発明において勝利したとてつもない業績があるにもかかわらず、日本では特に知られていないのではないでしょうか。
天才発明家「ニコラ・テスラ」をご存知ですか?
現代の大富豪、イーロン・マスクが信奉し、彼の社名「テスラ」の元ネタになっているほどの超大天才です。謎めいた彼の魅力を紐解いていきましょう。
目次
神童ニコラ・テスラ
ニコラ・テスラは1856年に現在のクロアチア西部にあるスミリャンという村で誕生しました。両親ともに南東ヨーロッパのセルビア人で、父親はセルビア正教会の司祭であり詩人、母親は泡立器などの調理器具を発明していました。
彼には兄弟もおり、兄が1人、姉が2人、妹が1人いました。彼は幼少時から才能の一端をのぞかせており、神童として村では有名だったようです。しかし、兄のデンはニコラ以上の神童と呼ばれていたといいます。家系的に優秀だったとが推察されるのではないでしょうか。
しかし、とある悲劇が。なんとニコラが5歳の頃、兄が亡くなってしまうのです。この頃から、ニコラは幻覚を頻繁に見たといわれています。
以降、彼は才能の源泉でもあり、彼自身を苦しめる神経症に悩まされることになります。自律神経失調や強迫性障害、潔癖症などの精神的な障害は、彼が繊細かつ感受性豊かだからこそ引き起こされたものですが、それが後の数々の発明を生み出す根源にもなっているのでしょう。
兄が亡くなったとき、ニコラはある思いを抱きます。自分以上の神童と謳われた兄デンを越えようと。
そして勉学に打ち込み、めきめきと頭角を表していきます。特に数学の才能は群を抜いていたようで、発明家の才覚はこの頃からあったといえます。
1875年にはオーストリアで有数の工科大学、グラーツ工科大学に入学します。入学後、彼は勉学に励むうちに運命的な出会いをします。この出会いが、彼の発明家としての大きなきっかけとなっています。それは電気モーターです。
世界を変える電流を発明
電気モーターに魅了された彼は、大学在学時にある偉大な発明の着想を得ます。それは電気の交流方式です。現在、電気の流れ方は2種類あります。直流と交流です。
直流とは、電気が通り道である銅線内を流れるとき、その向きや大きさ、勢いが変化しない電気の流れ方です。つまり、電流と電圧が変化しないで、常に一方方向の流れ方をします。
交流とは、電気の流れる向きや大きさ、勢いといった、電流と電圧が周期的に変化する流れ方です。同じリズムで電気が向きを交互に変えながら流れるのですが、これだとどういうことか分かりにくいと思います。
例を挙げると、家庭で利用する電気はすべて交流です。コンセントにさす電気製品はプラグをどの向きにさしても使えますが、これは交流の電気製品だからこそ。
逆に、懐中電灯など電池を使う電気製品は、交流の使った電気製品のため、電池の向きが合っていなければ使用できません。
このように、いまでは家庭で一般的に使われている交流式の電気の流れを、ニコラは発明したのです。現在では当たり前の方法になっていますが、当時は当然このような方法は存在していませんでした。
彼は在学時に閃いたこの偉大なアイデアを温め続けました。父親が死去してしまい学費を払えなくなったことで、大学を中退することになってからも、ハンガリーのブダペスト国営通信局に就職してからも、自身のアイデアである交流電流方式を活かす方法を模索し続けました。
それからパリへ移ってゼネラル・エレクトリック社で勤務する傍らでも、プライベートの時間を使って開発を続け、1882年に誘導モーターの開発に成功したのです。
誘導モーターとは、交流の流れを使った電動機の代表的な機器です。しかし、当時の欧州では彼の開発したモーターに興味を持つ人と出会えず、ニコラは場所をアメリカに移すことを決めました。
とはいえ、渡米時点の1884年には資金がほとんどなく、ギリギリの状態だったようです。そんななか、ある世界的な偉人の電灯会社での求人情報を見つけます。
それはなんと、あのエジソンです。
エジソンとの出会いと壮絶バトル
エジソン電灯会社の求人を見つけて応募したところ、見事に採用されたニコラ。これで晴れて彼の人生は華やかな道を辿ることに、とはいきませんでした。
エジソン社は当時、先ほど紹介した直流による電力事業を展開していました。しかし、ニコラが大学から温存していた画期的なアイデアは交流方式。このアイデアを活かした電気事業を提案したのですが、もちろんスムーズに認められるわけがありません。
直流と交流、エジソンとニコラは真っ二つに対立し、わずか数ヶ月でエジソン社を退職しました。交流方式が生まれたのに電気交流の方向性の違いで断裂するとは、ジョークにしても笑えません。
あの世界的な偉人と真っ向から対立したニコラ。これだけでも彼が常人ではないことが伺えますが、この後のエピソードにはさらに度肝を抜かれることでしょう。
直流と交流の対立がきっかけで、後に電流戦争と呼ばれるニコラ陣営とエジソン陣営の直接対決が勃発します。1887年、ニコラは自身でテスラ伝統社を設立。そして、発明した交流方式の特許を出願し、エジソンの直流方式を真っ向から潰しにかかりました。
天才代表のエジソンは、ポッと出の新参者など軽く捻り潰すことに……ならなかったのです。
それまでの直流はコストが高く、安全性にも難がありました。さらに、長距離の電力を受給することができないなど、デメリットを多く抱える発電方法だったのです。
しかし、ステラの発明である交流電流は、これらの問題をすべて解決する方法でした。当然のようにテスラ側が勝利を収め、以後の世界では直流ではなく交流の電気が主流となったのです。
なんとニコラは、エジソンの発明のデメリットを解消して世界の電気発明を変えてしまったのです。
ちなみに、エジソンは交流電気のイメージを下げるために、処刑で使用される電気椅子の電流に交流を用いることで、交流が生物に対して非常に危険だというイメージを世間に与えるデモンストレーションを行いました。エジソンがどれだけ必死だったのか、またエジソンがどれだけ性悪だったのかが垣間見える恐ろしいエピソードです。
電気工学の分野で数々の発明を生み出していく偉人
性悪な偉人を超えた偉業を達成したステラ。後に彼は、初期のコンピューターやFMラジオ、蛍光灯、リモートコントロールなど、今現在世界中で使用されている発明品の数々の生みの親となり、間違いなく偉人として名を連ねる存在でしょう。
彼の探究心は留まることを知らず、研究テーマを高周波の分野にまで広げていきました。送電線ではなく、電波によって世界中に情報とエネルギーを供給しようと考えたためです。
自身で生み出した高周波と高電圧を発生させる共振変圧器「テスラコイル」を使って、無線通信の研究に心血を注いだニコラ。高周波を利用して情報を伝達するアイデアは一定の成功を収めることになります。
ちなみにこのテスラコイルは、テレビやラジオの送信に使用されることになります。
天才が挑戦した世界規模の未完システム
彼の才能は世界そのものを巻き込んでしまおうとする構想まで生み出しました。1899年から行われた無線通信の研究、通称「世界システム」。大掛かりなネーミングですが、その名に劣らない装置を彼は考えていたのです。
無線による電力送電システムと情報伝達システムの研究により、地球が電気を帯びている「帯電体」であることを証明したり、周波数の等しい波が干渉し合って波動が停止したように見える「地球定常波」を発見しました。
これらを活用して電気エネルギーを乗せれば、エネルギーを減衰させずに地球全体へ送れると仮説を立てたのです。
もっと噛み砕いて説明すると、ひとつの巨大な送電装置を地球上に設置することで、ケーブルを一歳使わずに地球上のどこにでも電力を送ろうとする画期的なアイデアだったのです。
その後、彼の研究に注目したモルガン財閥の創始者ジョン・ピアポント・モルガンの支援を元に、巨大な無線送電塔の建築に本気で取り組んでいきました。
ところが、ここから計画は頓挫することに。建設途中の設計変更や、グリエモ・マルコーニが太平洋横断無線通信に成功して無線通信の実用化の先を越されたことなどから、研究資金が底を尽きてしまいます。
また、実際にタワーを建設して実験も行いましたが、実用化に至れるレベルの実験結果が出なかったともいわれています。
大天才は預言者でもあった?
残念ながら実現できなかった発明もありますが、彼が偉大な天才発明家であることには変わりありません。
その偉業を認めるように、1999年のライフ誌「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の一人に選出されています。
さらに、磁束密度の単位名に「テスラ」という名前が使われたり、彼が残した資料類はユネスコ記憶遺産に登録されるなど、歴史に名を残す偉大な人物として彼は現在まで語り継がれているのです。
あまりに天才過ぎて宇宙人扱い?
偉業が評価されたニコラですが、人間とは思えない予言めいた言葉も残しています。
なんと、彼は1926年の時点でスマートフォンの存在を予言していたのです。
「人類が無線技術を使いこなせるようになったら、どれほど遠く離れていても顔を見ながら声を聞いて連絡できるようになる。しかもこの設備はポケットに入れられるほど小さな体積だ」という言葉を残しています。
世界初のスマートフォンは1993年に作られたため、彼の発言と発想はもはや預言者に近い存在です。
彼が常人離れしているエピソードは留まることを知らず、なんとニコラは宇宙人だったのではないかと言われています。そんな噂が飛び出るほど突出した人物だったというのも頷ける話ですが、この話が出てきたのは単なる噂話ではないのです。
なんと、2018年にFBIの公式発表で、ニコラ・テスラは金星人であると発表されました。ぶっ飛び過ぎて意味が分からないエピソードですが、FBIといえば世界的にも有名なアメリカの警察機関の一つです。テロやスパイ、政府の汚職、強盗事件などを担当するれっきとした連邦捜査局が公式発表でニコラを宇宙人認定したというのは、映画でもドラマでもなく、現実の話なのです。
しかも機密文書まで公開されており、その内容もにわかに信じがたいもの。1856年に出生したのではなく、そのときに地球人の夫婦に宇宙人が託したというのです。
なぜFBIがこんなファンタジックな話を持ち出すのか不思議で仕方ないと思いますが、これにはニコラのとある発明が関係しているといいます。
ニコラは1938年に、あるラジオ型の装置を開発していたそうです。ラジオの発明にも携わっているからなにもおかしくないと思えるかもしれませんが、彼が開発していたのは惑星間でコミュニケーションが取れる装置だったのあdとか。
そして、彼の死後に発明を受け継いだエンジニアたちが、1950年には密かに宇宙人とのコミュニケーションを実現しており、そのときに宇宙人からニコラの出生の秘密を聞かされたそうです。なんとニコラは、金星人だったといいます。
急にSFの話をし始めたようで困惑されるかもしれませんが、何度も言いますがこれはFBIの公式発表です。生前だけでなく死後も世界中を驚かせ続けるというのは、ニコラ・テスラの偉人っぷりの一旦なのかもしれません。
それほどまでに凄まじい天才だったということが、このぶっ飛び過ぎたエピソードの理由なのでしょうから。
天才は孤独でもあり、1人の人間であった
最後にですが、彼が天才だった理由でもあると冒頭で述べた神経症についてお伝えしましょう。
彼が天才であることはだれもが疑いなく認める事実でしょう。しかし同時に、彼が変わり者で孤独な人物だったことも同様に事実なようです。
彼は汚れたものや丸いものに触れるのを嫌悪し、人間の髪の毛も嫌ったといいます。
また、日常行動には儀式めいたルールがいくつも用意されていたといいます。たとえば、食事ごとに18個のナプキンを使用することを決めていたり、ホテルの部屋は3で割り切れる部屋でのみ宿泊し、建物に入る前はやはり3回歩き回ったといいます。これは今日では強迫性障害と診断されるであろう症状です。
偉人や天才は、何かしらの精神疾患を患っていることが多いとされています。ニコラ・テスラもその例に漏れず、自身の中の狂気と常に葛藤し、悩み、苦しみ、そしてそれゆえに孤独な時間を好むことが多く、数々の発明を生み出したのです。
天才であることは同時に苦悩も抱えている。ただ優秀なだけではなく、彼自身がどのような日々を送っていたのかを想像すれば、天才や偉人が別世界の存在などではなく、1人の人間として感じられるのではないでしょうか。
数々の偉業を達成しながらも、絶えず苦悩し、自身の才能に不安と自信を抱きながら生き抜いた、1人の人間なのですから。