異国の文化であったり世界の全く異なる事情だったりを知ると感銘を受けたり衝撃を受けたりで、とにかく新鮮な感動を得られる海外の事情というのは惹きつけられるものがあります。
もちろん現代の異国文化について触れるのも非常に素晴らしいですが、過去に遡ってもその感動は色あせることがありません。
「世界の七不思議」をご存知でしょうか?
学校の七不思議みたいで文言からして気になりまくりますが、いわゆるオカルトな内容ではなく、世界に実在した7つの建造物のことを指します。
今回はこの中から1つ、じつに1000年にも渡って船乗りたちをエジプトの地に導き続けた大灯台のエピソードを紹介しようと思います。
目次
世界の七不思議とは?
アレクサンドリアの大灯台について語る前に、もう少し世界の七不思議について紹介しましょう。
別名「古代世界の七不思議」とも伝承される、古代ギリシア人が様々な土地で接した建築物のなかでもとりわけ強い衝撃を受け、印象に残った建物を記録してリストアップしたものです。
そのため、なにか宇宙人と関わっているだとか、行けば超常現象が起こるとか、空中に浮かんでいるだとか幻の建物だとかそういうわけではありません。れっきとした実在の建物です。(そうはいっても現存するものはほとんどないのですが)
古代世界の七不思議として伝承されてるのは、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台の7つです。
古代人が魅了されただけあって、どれも魅力的な建築物なのですが、今回はそのなかからアレクサンドリアの大灯台をピックアップしようという流れです。ほかの建物についてはまた別の機会にでも。
アレクサンドリアの大灯台とは?
さて、では7つの不思議に数えられし大灯台の正体について迫ってみましょう。
アレクサンドリアの大灯台とは、その名の通り巨大な灯台のことです。灯台とは岬の先端や港湾内に設置される、その外観や灯光によって、航海する船の目標となる施設のことです。つまり遠くからでも海の目印として目的地になる存在ですね。
ことわざで「灯台元暗し」といいますが、遠くの海めがけて光を放つ性質上、灯台の足元はまっくらだといいます。大灯台の足元はどれほど暗かったのか…とはいえ、この大灯台は栄華を極めん勢いの交易都市となる土地に建造されたため、この大灯台を目指せば華の都にたどり着けたのですから足元はどちらかというと煌めいていたのでは?
という街の発展については後述するとして、大灯台の説明を。
地球上で最も高い建物の一つだった超巨大な灯台
大灯台という大仰な名前をもらうくらいですから、さぞ大きかったのではと推測できますが、実際のサイズは全高は約134メートル。現代でいうといまいちピンとこないしパッとしないかもしれませんね。
しかし、この大灯台は紀元前3世紀頃に建造されたのです。なんとその当時で言えば世界中でも類を見ないトップクラスの建物でした。ちなみに当時の世界一位は、同じ七不思議に数えられるギザの大ピラミッドで147メートル。世界一二を争うほどの巨大建造物ですから、当時の人々に与えた衝撃は計り知れません。
大灯台の構造
巨大建築物の建材には大理石が使われていて、ブロック状に切り出したものを積み上げていました。そして形状の異なる3つのセクションで構成されており、下層部は四角柱、中層部はひとまわり細い八角柱、上層部はさらに細い円柱状となっていました。
わかりやすく言えば、下層から上層へ向かうにしたがって細くなっていったといことですが、大灯台自体が巨大だったため、細いといってもか細いような印象はありませんが。
中央は塔になっていて、頂点には鏡が設置されていた。この鏡が灯台の要とも言える非常に重要な存在。RPGのレアアイテムみたいな配置をされてるから高価な代物だったのか?といえば、そういう意味ではありません。
灯台は先程も述べたように、遠くの船から目的地を見失わないようにする役割があります。そのため、日中はてっぺんの鏡に太陽光を反射させて、夜は炎を燃やして光を反射させていました。
世界トップレベルの建物から放たれる光は遠くの船に目的地を知らせることができたでしょう。あとで触れますが、この時代は船乗りにとって灯台は命を左右するものでもありましたから。
この海の案内を司る大灯台には、灯台の四隅に角笛を吹く海の神トリトンの彫像が置かれていました。トリトンはギリシア神話に登場する海の神であり、上半身が人間で魚の尻尾を持った姿で描かれることが多いです。世界的に有名なアニメ作品の一つでも登場していますね。この大灯台が海の守り神ともいえる存在であったことが伺えます。
内部には螺旋状の通路が設けられており、ロバを使って薪を運んでたと考えられています。夜間に鏡を炎で照らすための薪は、このように人力、いやロバの力で行われていたようです。
大灯台のあるアレクサンドリアとはどんな土地?
さっきからぜんぜん触れてませんでしたが、大灯台はアレクサンドリアの大灯台という名前です。つまりアレクサンドリアという地に作られたのですが、どうしてこの地に世界トップレベルの不思議大建造物を建築するに至ったのでしょうか?
これにはアレクサンドリア周辺の水域が大きく関係しています。
アレクサンドリアは現在のエジプト第二の都市でもあります。アレクサンドリアは元々、マケドニア王国のアレクサンドロス大王によって、紀元前331年に港湾都市として築かれました。
そして北エジプトに遠征したアレクサンドロス大王は、レバノン沿岸にあった都市ティルスを壊滅した後、ティルスに替わる交易拠点がほしかったのです。
「交易拠点としてナイル川河口の三角州あたりに、制海権を確保できる都市が欲しい!」大王の希望を叶える最適な土地が見つかったのが、大灯台を建造したアレクサンドリアでした。
ナイル川河口の三角州の最西端を流れる支流によってナイル川とつながり、南側はマイオレット湖によって守られているアレクサンドリア。地中海にも挟まれていてほぼ長方形だったアレクサンドリアの町では、ナイル川のカノープス支流から引かれた運河から水を供給して、当時ではは珍しい下水道も建設されたのです。水の都はなかなかクリーンで画期的な街だったようですね。
そして港は船脚が底に達することなく充分な深さもあり、船の出入りも充分に可能でした。さらには連なった島々が危険な北風を防いでくれたため、人々が集い、物が集い、文化が栄えるだけの土壌が充分に備わっている土地だったのです。
なぜアレクサンドリアに大灯台を建てたのか?
これだけ説明してると随分と充実した土地っぽいアレクサンドリア。実際に恵まれたところだったのですが、とある問題が。それは地上ではなく、海の方にありました。先ほど港への出入りは容易だといいましたが、それ自体は本当です。しかし、港へたどり着くことは少々やっかいでした。
アレクサンドリアには目印といえる目印が地上になかったという問題が一つ。当時は羅針盤や航海計器などが発明されるはるか以前の紀元前世界。海岸線を目視しただけでは海の上から現在地を把握することは当然困難です。。
ナイル川河口の三角州周辺には山や崖がなく、海岸付近は目印になるものがないアレクサンドリア周辺は、湿地帯と砂漠が延々と続いて、陸地も平らで低かったのです。
また、海面と同じ高さに砂州(さす)と呼ばれるエリアがあったのも難点でした。砂州とはの流れや風によって運ばれた土砂でできており、入江の一方の岸から対岸に届いているか、または届きそうに伸びている州のことです。この砂州に乗り上げて事故を起こす船も少なくありませんでした。
さらに、アレクサンドリア港の前に2重の岩礁があり、これは砂州に乗り上げるよりももっと悲惨な大事故につながることもあったのです。このため、目印となる灯台の建築は急がれました。
時のファラオが大工事に乗り出した!
紀元前は305年、ギリシャ人による古代エジプトプトレマイオス朝の初代ファラオであるプトレマイオス1世の統治下、ギリシャの建築家であるクニドスのソストラトスが大灯台を設計しました。灯台自体が完成したのは、その息子のトレマイオス2世の時代。当然ですがかなりの歳月を要したことになります。
長年の苦労の甲斐あり完成した世界の大灯台の光は約35マイル、約56キロメートル先から離れた海岸から見ることができたといわれています。船乗りたち念願の目印がここに完成したのです!
ちなみに、この大建造物の建築費用は800タラント。銀およそ23トン分です。凄いのですがいまいち凄さが伝わりきらないうね。これは当時の王家が所有していた全財産の10分の1に匹敵するそうです。
灯台の象徴的存在となった大灯台
アレクサンドリアの大灯台は、紀元前509年から紀元前27年まで続いた古代ローマ時代のコインにもその様子が描かれるほどシンボリックな存在となりました。
さらには、灯台の語源にもなっているのです。アレクサンドリアの沖にファロス島という島があり、この島の東側が灯台の建設場所に選ばれました。
島の名前にちなんで「ファロス」と名付けられて、これがギリシャ語で灯台を意味する「ファロス」の語源にもなっています。
それから大灯台は1000年もの間、アレクサンドリアの繁栄を見守るように、多くの人々をエジプトの地へと誘い続けてきました。
なぜ大灯台はなくなったのか?
ところが、1000年後にこの大灯台は悲劇に見舞われます。大地震です。
796年の地震で大灯台は半壊します。一旦は崩壊の危機を免れたものの、自然の脅威に人々の力が敵うことはありませんでした。その後の1303年と1323年の地震で、アレクサンドリアの大灯台は完全に崩壊することに。
現在ではその姿を見ることが叶わないというのはなんとも寂しいですが、紀元前から1000年間も大灯台として海に光を与えていたこと自体がすごいことです!
人々の記憶に残り、消え、語り継がれる大灯台
1000年もの間人々の心の中に刻まれていた大灯台も、姿を消すことで一度は人々の心からも消えていたようです。しかし、1968年に海底から灯台の一部と思われる遺跡が発掘されたことで、時の大灯台は再び人々の心に宿ることとなります。
この大灯台は当時、エジプトの人々から愛されていただけではなく、アレクサンドリアを紹介する外国の地誌や古典文学では必ずと言っていいほど紹介されていたメジャーな建造物でした。それはアラビア語やペルシア語、はては中国まで伝わり1225年の地誌『諸蕃志』にも漢文で記述されているほどです。
この大灯台がどれだけ当時の世界にとって衝撃的であり、革新的な存在だったかがうかがえるエピソードです。東京に来れば東京タワーやスカイツリーが象徴的で記憶に残るのと近いかもしれませんが、現代では巨大な建築物はビル群であっても存在します。
しかし、当時は高層建築など容易にできるものではなく、世界トップレベルの建物といえば衝撃を残すには十分だったことでしょう。現に、アレクサンドリアを訪れた数々の外国人の旅行記でもその衝撃は記されており、アレクサンドリアに住む人々からすればさぞ誇らしい気持ちで地元の建造物を語っていたに違いありません。
諸行無常
しかし、これだけの歴史と存在がありながらも、一時期は人々に忘れ去られていた大灯台。もちろん地震による倒壊がなければ、いまでも観光名所として世界的に有名な大灯台として名高かったでしょう。
けれど、地震という自然災害によってその姿を一度失ってしまえば、1000年間も交易都市で堂々とそびえていた圧倒的な存在も忘れ去られるという事実。また、それだけの巨大建築物も自然の脅威には立ちはだかることができないという事実。
諸行無常。現実で変化しないものなどはなく、どれだけ栄華を極めていようとも不変なものなどないというのが普遍だと教えられるような気がします。
それでも、過去の遺産が発見されることで後世に語り継がれるということは、偉大な結果を残すことによって人々の心の中に生き続けることができるというもの。
不変なものなどありはしませんが、形が変わることでたやすくも記憶からすら崩れ落ちる脆いものが人の創り出したものであり、けれども形が変わることでも生き続けるというのは、形というものにこだわるのではなく、記録ではなく記憶に残るような事実を積み重ねた結果だからでしょう。
ただ高い建物を建てただけでは、後世まで語り継がれて人々の心に残るものにはならなかったはずです。そこには人々を交易都市に導き続け、人々の生活に密接に関わり、支え続けた存在だからこそ、愛される存在としていまもなお人々の心に生き続けているのではないでしょうか。