みなさんヨーロッパは好きですか!
ヨーロッパ好きな日本人って多いですよね。僕も好きっすよ!
しかし逆に、西洋の中心地、フランスの人々もジャパンの文化には魅了されっぱなしというのも面白い話です。特に日本が誇るゲームや漫画、ポップミュージックを好むフランス人も多いという事実。
日本人がフランスに心を奪われ、フランス人もまた日本に心を奪われる。相互に作用し合っているのは素敵なことです。ちなみに僕の出身地である京都とパリは良い意味でも悪い意味でも文化的に似ていると話に出ることがありますが、まったく意味がわからなくもないです。いい意味でも悪い意味でも。
話をヨーロッパと日本に戻します。とにかく西洋文化と日本というのは距離が遠くとも精神的には密接な関わりがあり、フランス文化として日本を魅了したものの一つにとある人物すらも挙げられます。
時のワガママお嬢様「マリー・アントワネット」
マリー・アントワネット。この名前に聞き覚えがある人も多いでしょう。豪華絢爛、贅沢三昧な生活を我が物とし、パンがなければブリオッシュ(ケーキ)を食べればいいじゃない」とパンクロックな発言をかましたと名高く、国民にキレられてフランス革命で処刑されたというマンガ一本そのまんまにできそうな逸話を持つ彼女です。
だからか漫画や映画の題材としても取り上げられるほどアイコニックな存在ですが、彼女は実は、フランス本国ではそんなに有名ではなかったのだとか。
彼女を有名にしたのは、なんと日本の漫画。
目次
マリーアントワネットを有名人にしたマンガ「ベルサイユのばら」
1970年代初期に池田理代子が描いたマンガ「ベルサイユのばら」をご存知でしょうか。僕は名前くらいしか知りませんが生まれる前のことなのに名前は知ってるくらい有名な作品なので、耳にした方も多いはず。
オーストリア生まれの王妃を護衛する近衛士官の物語の今作は、当時の王家の生活や、貧困にあえぐ国民の姿、王家の浪費ぶりなど、フランス国内の情勢を様々な角度から描くことで人気を得ました。
(宝塚歌劇団の人気舞台として長らく上映されていたということでご存知の方もいるかもしれません。)
このベルサイユのバラが日本で空前のヒットとなり、ベルサイユ宮殿が日本人にとって外せない観光スポットとなったのですから影響力は凄まじいですね。いまでいう聖地巡礼でしょうか。
ちなみに日本で空前のブームとなったベルサイユのばらはフランスでも人気となり、作者の池田理代子はフランス政府から直々にレジオンドヌールと勲章を与えられています。(和訳すると名誉軍団国家勲章です。)
日本とフランスの文化交流の密接さよ!
この作品で広く知られることとなったメインキャラクターであるマリー・アントワネットですが、彼女は一体どんな人物なのか、なぜ人々を魅了してやまないのでしょうか。
マリー・アントワネットの人生あらすじ
まずは彼女の魅力を紐解くために、ざっと人生の概要をば。
1755年11月2日にウィーンで生まれた彼女は、フランスとオーストリアの同盟に伴う外交政策に一環で、当時のフランス王太子ルイ16世と結婚します。いわゆる政略結婚です。ちなみにこのとき14歳。(!!!!)
彼女は貴族として名高いハプスブルク家の娘ですが、末娘であり15番目の子供というかなりの大所帯の後ろの方ーの子でした。
しかし政略結婚によっていきなりメインストリームに躍り出た彼女は、パリを巻き込んで2週間も続いた祝宴されたことを皮切りに、公務に力を入れず散財しまくってド派手な衣装にド派手なパーティを連日楽しみまくり、パリ市民の評判は分かりやすく落ちていきます。
さらに宮廷内でもルールに縛られることを嫌い、自由奔放に過ごしていたため宮廷でも敵をつくるという唯我独尊っぷりでした。
そして1789年にフランス革命が始まり、貧困する国民をスルーして宮廷で金を使いまくっていたマリーに激怒した国民たちに囚われ、ヤバくなったマリーは国外逃亡しようとして失敗し、頭にきた国民たちに1793年1月21日ギロチンであの世に送られたというのがざっとした流れです。
ちなみに37歳の若さで死去しています。若い。
ホントにただのワガママ王妃だった?
このワガママ放題で好き放題やるイメージがマリー・アントワネットの広く知られているイメージではないでしょうか。
先に紹介したマンガ「ベルサイユのバラ」でも、自由で贅沢な生活を送り、人々を魅了する華やかな姿が描かれているので、良くも悪くも目に付く女性であったというのは間違いないようです。
しかし、なぜ彼女が散財していたのかということに焦点を当てると、イメージが変わってくるかもしれません。
敵対関係にあったのに政略結婚させられた
彼女は宮廷内で反対勢力をつくるほど、いわば孤独な存在でした。それは宮廷のしきたりに従わないなど、彼女の奔放さが目についていたのも理由ですが、彼女がハプスブルク家出身というのが大きく関わっていました。
先ほど、彼女は政略結婚によって若干14歳で王様の嫁にさせられたと話しましたが、なんとこの当時、ハプスブルク家はフランスとは敵対関係にあったのです。政略結婚をしたのは、イギリスの脅威にさらされていた両者が手を組み、イギリスなどの国に対抗するためでした。
そのため、マリーは敵国からやってきた女性のため、宮廷内で反感を買うことも珍しくなかったのです。
まあそりゃ荒れますよね。彼女が宮廷内で散財をしていたというエピソード自体は事実のようですが、散財していた理由が「ただの頭の悪い金遣いの荒いワガママ女性」などという言葉では片付けられない事情があるのも事実。
(ちなみに、この敵対していた宮廷内の貴族が、彼女の評判を下げるために根も葉もないスキャンダルをでっちあげ、パリ市民に流布したという話もあるのだとか。ええそりゃ荒れます)
宮廷内での孤独が彼女の豪華絢爛なパーティ浸りの生活の一端となっているのは、意外な一面を垣間見ることができるのではないでしょうか。
王家のしきたりに対する反発
有力貴族でありながら15番目の娘として生まれ、おそらくはそんなにガチガチなルールに縛られることなく奔放に育ったのではと推測される彼女(長男でも長女でもないですし、なにせ15番目ですし)が、いきなりフランス王室に嫁いであのヴェルサイユ宮殿に入ることになったのですから、いくらハプスブルク出身といっても生活は一変します。
先に述べたように彼女は宮廷のしきたりに馴染めず、というか馴染む気もなかったかもしれませんが、とにかく宮廷はしきたりのオンパレード。儀礼から生活の決まり事はこと細かに定められており、王だけでなく王妃であるマリーにも1日みっちり、朝から晩までルールでがんじがらめでした。
ちなみに晩餐にいたっては、見学ができたといいます。なので飯を食うにしてもだれからでも閲覧可能という謎環境で彼女は生活することになったのです。
(この公開制には狙いがあり、絶対君主制を世に知らせるため、豪奢なバロック建築の宮殿を俗人に知らしめるということだったようですが)
こんな決まり事と視線まみれの生活もやってられなかったのでしょう。マリーは宮廷でのしきたりをシカトするだけではなく、地位を確立するにつれてなんと決まり事をどんどん廃止していったのです。
さらにプライベートな空間「プチ・アパルトマン」や「小トリアノン宮」と呼ばれる場所で自由な時間を過ごしたりと、とにかく自由を愛した彼女。当然ですがルール至上主義の宮廷で反感を買うものは少なくなかったのです。(しかも敵国から来てる人ですし)
そんな彼女ですから、心を許せる宮廷内の人間はかなり限られており、数人の貴族と限定的に過ごすことが多かったそうです。栄華を謳歌した生活ばかりが取り沙汰されていますが、彼女が孤独な存在だっという側面は意外なのではないでしょうか。
自由から生まれたファッションリーダーという立ち位置
中世といえばドレスが車校の場に置いて欠かせないですが、マリーアントワネットはドレス文化における現代のファッションリーダーのような存在でもありました。
とにかく彼女はファッションに対して情熱を注いでおり、彼女にはお抱えの女流デザイナーまでいました。ローズ・ベルタンという人物は、女流デザイナーの草分け的存在ともいわれ、オートクチュールの基礎を築いた人物です。(オートクチュールとは完全オーダーメイドの高級服のことです)
彼女がファッションにおいてアイコニックな存在となった理由は、現代のファッショニスタ同様、自ら流行を生み出していたという点。というか、彼女がそのシステムを確立したのではないかとすら思えるほど、上流階級のファッションに多大なる影響を与えました。
その反面、庶民たちは貧困に喘いでいるのに、服ごときに金を使いまくる彼女に対して憎悪を増すことになるのですが。
とかく、彼女は流行を追うのではなく生み出し、貴族は彼女を流行震源地として後追いしました。ドレスの代名詞でもあるコルセットや胸を大胆に曝け出すスタイルは彼女が考案したものです。
しきたりに囚われることも嫌いに嫌いまくり、自らのルールで自由奔放に生きることを選んだ彼女だからこそ、自らが何かを生み出す存在となることができたのでしょう。常識を破ることができるのは非常識な人間のみ。
彼女の意思はドレス文化ではない現代にすら影響を与え、2020年の有名ブランドのファッションショーのテーマにすら選ばれ、さらには世界のアーティストやセレブがこぞってマリースタイルの衣装を身に纏って話題を集めてすらいます。
セレブのイメージとして典型的な姿として描かれ、現代のセレブにすら憧れられるマリーという女性がどれだけの存在なのかが改めて伺えます。
死の間際まで意思を貫いた誇り高き女性
敵対国から嫁いできたと思ったら宮廷内で代々受け継がれたしきたりすらガン無視どころか撤廃までして自己中に振る舞い、自己中ゆえに独創的で魅力的であり、ゆえに現代にまで影響を与えている彼女ですが、その強靭な意思は有名な処刑前にすら現れています。
貧困に喘ぐ国民の怒りのボルテージが最大にまで達し、豪華な生活をする国のヘッドたちをぶっ倒そうという動きからお国の頭として目立ちに目立っていたマリーは捕らえられ、死刑執行が確定し、ジョゼフ・ギヨタン博士が考案した画期的な即死道具の出番を待ち続けている9ヶ月の間、独房で過ごしていた彼女はまったく汚れないのない純白の服を見にまとっていました。
「いつまでも印象に残る服で生涯を終える」
そんなゆるぎなき、気高く、誇り高く、傲慢で、どこまでも我が思いを貫き倒そうとする、その強剛強堅強靭な意思が、ファッションというルックに現れているあたり、彼女らしい表明の仕方だと思います。
たかが見た目のことになに本気になってんのと揶揄する人もいたでしょうし、いまでもいるでしょう。ですが、内面の一番外側であるたかが外見に、刻一刻と迫る死に追い詰められている最中、純白という形で表した彼女は、見た目のことを揶揄するだけの人間とは一線を画する存在。彼女の意思が理解できないのは当然でしょうし、別にそれでいいでしょう。
理解し、感銘を受ける者にだけ伝われば、それでいい。現に彼女の影響力がセレブやトップデザイナーに影響を与えていることこそが、その答えです。
ちなみにですが、彼女の最期の言葉は、死刑執行人の足を思っきり踏んだときに発した「おゆるしくださいねムッシュウ。わざとではありませんのよ」とされています。
カッケ!!!!!!!!!
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」は彼女の言葉ではない
まあそうは言っても、ひねくれて金遣いが荒くなって痛い生活を送ってたみたいなところはあるでしょうし、彼女のことを全肯定する気もなければ「おいおいおい」と思うところももちろんあります。
いろんな意味で目立つというのは、良い意味でも悪い意味でもということです。個性も意思の強さも才能もメンドくささもない人は良いところも悪いところもないから目立ちませんし、目立つということはめっちゃ痛い部分があるから良い部分が際立つといったところ。
そんな彼女の痛い発言トップとして名高い発言。「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」という発言。ブリオッシュはパンの一種でお菓子としても扱われるため、貧困に喘いでパンも食べられない国民を見て「じゃあお菓子を食べればいいじゃん!」と世間ハズレしまくったバカな発言として紹介される言葉です。
これはいかに彼女が自分たちばかりが豪華な生活をしてとち狂っていたかってことを皮肉った発言としても有名ですが、じつはこれは彼女の言葉ではないのです。
これは歴史の教科書に出てくるジャン=ジャック・ルソーが著書で名言しています。マリーではなくとある大公夫人がこの趣旨の発言をしたと記述しています。
また、1760年に出版された別の本でも「トスカーナ大公国の公爵夫人の発言だ」とされているため、マリーを妬んだ貴族からでっちあげられて流布したといわれています。
国民を思う優しい王妃の一面があった女性
実際のマリーはどうだったかというと、確かに宮廷生活のストレスや孤独感という反動もありはしたでしょうが(なにせ出産すら見物させるような生活を強いられていたので)、散財していたのは事実です。
しかし、飢饉の際には宮廷費をけずって寄付したり、ほかの貴族から寄付金を集めるなど、むしろ国民を大切に思う心優しい人物であったとされています。
彼女が嫌われ、妬まれる側面があったのは、彼女が同時に、多くの人を魅了するだけの性格と、人々に愛される側面があったということも物語っているのではないでしょうか。なにもない人間は妬まれも嫌われすらもしません。魅力の裏側に嫌悪があり、嫌悪の裏側には魅力がある。それを体現しているのが彼女だと思います。
じつは日本趣味だったマリー
ここで意外な彼女の一面をもう一つ。
彼女は日本の美術品や工芸品を集めていたといいます。彼女の母マリア・テレジアが死に際し、日本の漆器を50点遺贈されたそうです。
それをきっかけに、彼女は日本のコレクションを始めて、70点あまりを所有していたのだとか。
彼女自身がデザインを考案し、王立セーヴル磁器製作所に作らせた絵皿には、日本の図柄に着想を得ているとのこと。
ここにきて、まさかの日本とフランス文化の交流が、マリーアントワネット自身にまであったとは。なんだか不思議な感じがしますね。
無邪気で奔放な女性、マリー・アントワネット
彼女はとにかく自由で奔放、無邪気で素直な女性だったのではないでしょうか。それが宮廷でのルールや、国民の意にそぐわない行動の数々をしでかしたことにつながっているのは事実でしょう。王妃として求められることをやっていなかったのは、彼女の立場を考えれば批判されてもそりゃ仕方ないということも多々あるはずです。
しかし同時に、そんな立場で自由奔放にやっちゃう彼女というのが、彼女を現代に、そして遠い日本という国で話題になり人々を魅了するほどの魅力につながっているのも事実。
人はツッコミどころが多ければ多いほどなものユニークです。時代を経てもなお多くの人々の心に残り、死の間際でも上等な態度をかませる彼女は、ワガママで、強くて、不真面目で、気高く、孤独で、素敵な女性です。